妬み、嫉み、僻み。
この感情は年々減ってきたように思える。
ただ、まだ感じる部分もある。完全には消え去らないとさえ思う。
これらの感情を感じないようにするにはと、色々と考えてきた。
その一つが情報の遮断
人付き合いを最小限に
若い頃のわたしは、いろいろな人と出会い、本心を隠して人付き合いをしてきた。
本心というのは、相手が自分と合わないと思っていても、話したり、飲みに行ったりとすることだ。
私は積極的に動く方ではなかったので、ほとんど自分から話を振ったり、飲みに誘ったりはしなかった。
ただ、なぜか誘われることが多かった。
なぜ誘われることが多かったかは、私がいじられキャラだったということに尽きると思う。
ツッコむ相手がいないと、場が盛り上がらない。そういう意味で私はよく誘われていたのではないかと思う。
ツッコまれる相手としては、ツッコむ内容によって気分が違う。
その内容が少しでも嫌だなと思ったら、誘われても断る。と今では行動に出るけど、若い頃はその選択肢はあっても、行動には移せなかった。
会社でも仲間でも、その輪から外れることが怖かったから。
でも、今は無理だなと思ったら、次はないように行動に移す。表面には出さないようにしているけど、どうかはわからない。
ということで、人付き合いは気心しれた相手としか合わないようにしてきた。
この事が、あまり好きではない相手の話を聞かないことになり、他人のことで冒頭の感情を感じることも減ってきた。
SNSの利用を減らす
これは人付き合いを最小限に、に関連することだが、過去知っている人をSNSで検索して動向を確認していた時期があった。
これが非常に良くない。
知っている人とは、私にとってあまり好きではない人が特にSNSをやっていたりする。さ
SNSは承認欲求を求める人がやっているとの記事を読んだが、私の知っている人に関しては、ほとんど当てはまると思う。
今になって思うが、見に行くという動機は、あの人最近どうしているのかな、と動向が気になったことがきっかけだと思う。
ただ、承認欲求を求めることが投稿する目的なので、おいしいもの食べた、みんなと飲んだ、どこどこ行ったと、羨むないようなことが多い。
これを素直にいいなー、自分も行きたいな―と思えればよいのだが、当時は全く思えず、コンチキショー!とひとり唸っていた。
非常に良くないと思い、そのSNSは開かないことに決めた。代わりに自分の好きな人(身内ではない)をフォローする専用のSNSを利用しているか、こちらは承認欲求的なものはなく、ただただ情報なので、非常に良い。
まとめ
結局は、好きなものに囲まれて、好きなものだけやることが自分の幸福感が増すと思っている。
あくまで自己中心的な話だけど、何年生きられるかわからないからこそ、他人がどうのこうの考える時間がもったないのである。
ただ、人付き合いを最小限にしろ、SNSの利用を減らしたところで、世の中にはおせっかいな人もいたり、職場にいて回避できないこともあったりするので、完全に回避は不可である。
あとは自分の心の持ちよう、妬み、嫉み、僻みは当たり前の感情としてその時に、自分はこういうことで感じるんだな、よしよしと分析できるように日々余裕をもって過ごしたい