オリンピックの重圧

4年に一度のオリンピックが、日本で開催されている。

もう終盤だけど。

昨日、8/6(金)夜、男子400mリレーの決勝が行われた。

決勝には前回のリオオリンピック銀メダルの日本も参加。リオの時とはメンバーが違うけれど、今回はアメリカが予選敗退となった為、日本にメダルの期待がかかる試合だった。

結果は、第一走者(多田選手)から第二走者(山縣選手)へのバトンがつながらなかったことによる、途中棄権となった。

見ていたほぼすべての人が、残念だったに違いない。選手やコーチはそれ以上に悔しい思いをしていると思う。

私がそれを思っても、しょうがないのだけれど。

そんな中、以下の投稿を見た。

オリンピックに参加する選手は、各国の代表として参加している。

国内で競い合った結果、国の代表として参加。だからそもそもすごい選手なのだ。

国の代表として参加しているから、国民も期待する。金メダル候補なんて言われたら、さらに注目を浴びる。

それは観衆より、選手の方がプレッシャーとなって重くのしかかるんだろう。

為末氏のツイートを読むと、予選の結果でメダルに届かないことを自覚し、決勝ではメダルを取る為にギリギリを攻めた。

この思考、実践は、至極当たり前の考えだと思う。

ギリギリを攻めなければ勝てない。メダルを取る為であれば攻めようと。仲間、そして自分を信じようと。

その考えは、日本選手だけに限ったことではなく、他の国の選手もそうなんじゃないかなと思った。

攻めた結果、挑戦した結果、失敗に終わってしまったけども、その挑戦に応援を送りたい。

本人たちは自分を責めてしまうかもしれないが、私は応援したい。

「オリンピックの悔しさはオリンピックでしか返せない」と言った選手がいた。それは真実かもしれないが、オリンピック以外の何かしらでもよいから、悔しさを晴らす機会が選手にあればよいなと思った。

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