私には、大好きな歌のフレーズがある。
それは、eastern youth の 「矯正視力〇・六」の冒頭。
何回だってやり直す
悲しみなんて川に捨てるんだ
本当は内ポケットにしまったままだ。
仕様が無いから連れて歩く。
「矯正視力〇・六」eastern youth
本来歌詞に対して、なぜ好きなのか説明するのは野暮なのかもしれない。
しかし、自分がなぜ好きなのか言語化しておきたい。
まず、誰しも「悲しみ」は捨て去りたいと願っている。
しかしながらその「悲しみ」は、捨てられない。
捨てても戻ってくるのか、それとも捨てようとしても捨てられないのか。
その何とも言えない「悲しみ」を内ポケットにしまったまま(心に持ったまま)、しょうがねえから一緒に連れて歩くという。
「悲しみ」という(最初は)嫌であったであろう感情を、なんだかんだ言いつつ大事に持ったまま連れて歩く。
感情という心象なのに、大事にしまって一緒に歩く。
この歌詞を聞いた時、情景を思い浮かべ、考え、理解し、自分の過去を振り返り、共感、納得したのである。
なかなか曲を聴いてその歌詞を考えることはないが、eastern youthは考えてしまうのである。